御先祖様の鼻くそ黙示録

鼻くそのように生きた感想を記す

『3月のライオン』10巻を読んで、自分は羽海野チカ先生から嫌われるタイプの人間なんだろうなと思った

 『3月のライオン』最新刊読みましたよ。

 好きなんですよ。いいんだけどさ、でもやっぱりこの作品は「正しすぎる」んですよ。自分にとっては。以前阿部共実について書いたエントリでも触れたんですが、


阿部共実を「読んでしまった」運命 『おもいでをまっくろに燃やして』2話 『どうせ幽霊は僕だけを殺してくれない』 - 御先祖様の鼻くそ黙示録

 

 かねてから自分は人間には「正しいもの」と「正しくないもの」の両方が必要で、そのどちらかが欠けてもバランスを失うんじゃないかと考えています。

 この「正しい」の感覚は自分の中にあるだけでうまく言えないのですが、漫画でいうと、『3月のライオン』。言うまでもない人気作品で自分も好きなのですが、あれを読んでいるとなんか正しすぎて読んでいるのが辛くなるような感覚があるんですよね。この登場人物たちは自分とは別の世界の人たちで、もし自分がこの世界にいたらこの人達に嫌われているんだろうなとか。

 

 こういうふうに書いてたんですよ。んでそれを10巻で再実感したというか。

 具体的にいうとお父さん(クズ)が川本家にやってきて、桐山くんに完全に抑え込まれるというかボコられるあの感じ。ネットみてたら桐山かっこよすぎだろ、とかみんな書いてるんすよ。友達も言ってた。

 でも自分的には桐山くんには全く感情移入できなくて、お父さん(クズ)側に肩入れしちゃうんです。ずっと年下の子が自分に比べて圧倒的に優れていて、しかも人間的に素晴らしく、正しいと感じてしまったときの惨めさ、みっともなさ。しかもいかにも女性受けしそうな草食系の男の子。まじしんどくね。

 んでもっとしんどいのは、羽海野チカ先生が明らかにああいうお父さん(クズ)みたいな人間を嫌ってることがビンビンに伝わってくることなんです。羽海野先生は優れた漫画家ですから生まれながらにしての純粋悪が存在するような描き方はしないわけです。悪になるにもバックグラウンドとなるドラマがあって、という描き方をするわけです。例えばこのクズの場合でいうと、一旦躓くとモロいエピソードが語られますよね。ちゃんとそこを理解してる。理解してるんだけど、嫌いなことはビンビンに伝わってくるんです

 んで『3月のライオン』ファンもみんなあのお父さんのことが嫌いだと思うんです(違ってたらすみません)。なんてったって卑劣ですから。「桐山、今や。このクズやったれ」的な感じだと思うんです。お父さんは作品内外ともに四面楚歌なんです。4×4で十六面楚歌なんです。可哀想ですよ。

 いや可哀想じゃないですよ。あんなクズはめちゃくちゃにやりこめられて当然です。自分はあのお父さんが悪くないとかいってるわけじゃないんです。自業自得です。当然ですよ。

 でも自分があの作品の中に存在したらきっと一番近いのはあのクズだろうなと思うんです。んでその人が袋叩きにあうのはなんとなく心が痛むというか。そういう意味で読んでて辛くなるような感覚は『3月のライオン』を読む際にいつもつきまとってます。正しさの圧力っていうか。桐山くんのようなまっすぐな、正しい存在になりたいって気持ちはわかるんです。自分の好きな人達を大切にして、裏切らず、努力も怠らない。自分もできればそうなりたい。でもそんなに正しくいられないよって。

 だって桐山くんみたいな子とか存在しないでしょ。女性の草食系男子願望むきだしというか。羽生結弦くんに求められてる何かを感じるよね。

 それよりはクズでもいいから等身大の自分に近いああいうクズのほうがよっぽど人間味があって共感できるんです。残念なことに。別に誰かにわかってよとも思わないし、きっとただの甘えなんだろうけどさ。別にこういう層の人間に羽海野先生が配慮すべきだとか微塵にも思わないし。

 

 んでここまで書いといてなんだけど、やっぱ自分はそこそこ『3月のライオン』ファンなんだよね。単純に漫画表現として羽海野チカ先生は本当に素晴らしい。でも多分自分とは違う思想で生きていて、自分のような人間を好いていないんだろうなあって。んで、この作品は自分の救いになるようなものではないなって。

 まあまとめると、自分がクズなのでクズに共感しましたっていう話でした。