『インサイド・ヘッド』 カナシミはそんなもののためにあるんじゃない
『インサイド・ヘッド』見てきました。コピーにすごく惹かれたんですよ。
「なぜ、カナシミは必要なの…?」
これは俺のための映画だと思って感動する気マンマンで行ったんだけどさ。なんか思ってたのと違った。まあ例によって泣いたんだけど思ってたのとは違う。
この作品ではカナシミが家出を思いとどまらせる原動力になるわけです。発想の転換というか、非常にロジカルにカナシミの必要性を表現してる。してるんだけど、俺はね、俺は人間のカナシミは「何かのために」必要だとかそういうことじゃないと思ってるんですよ。ただカナシミが存在することを肯定してくれるような物語を期待していたんです。
だってカナシミは最後に役にたったから必要ってことになってるけど、もし役に立たなかったらその感情は必要なかったの?
例えば人がカナシミに暮れて自殺という選択肢をとったとする。このカナシミは不要でしょうか。この映画はこの種のカナシミを否定している。俺は人に自殺を選択させるカナシミすらも肯定してくれるようなそんな作品を期待していたんです。
まあピクサーだし子供が多く見るものだから仕方ないとは思うんですが、前提となる思想がポジティブすぎて自分にはついていけなかった。家出を思いとどまることが、生きることが正しいという前提がこの作品にはある。
家出してグレても、自殺したとしてもそのときの感情を肯定してくれるような作品が自分は好きです。古谷実の『ヒミズ』とか。
あとヨロコビ見てたらやたらFacebookに投稿しまくるうざいポジティブなやつ思い出して腹たった。当たり前だけどドリカムは糞。