背後に誰かの影を見ない恋愛なんて存在するの? ヒッチコックの『めまい』
原題は『Vertigo』。
LibertinesにVertigoって曲があり高校時代にそれをかなり気に入って聴いていてからこの単語自体も好きになりました。かっこいいじゃん。ばーてぃご。めまい。
ヒッチコック作品は『北北西に進路をとれ』をだいぶん前に観ているのですが、崖に捕まってるところと、車に乗っているシーンで人と車のフレームを思いっきり風景にはめこんでいるのを覚えているくらいでほかはあまり印象がない。というか寝ていたのかもしれん。そういや『めまい』にも度々そのはめこみ車映像がでてきて笑っちゃった。
この作品はもうあらすじからして面白いですよね。TSUTAYAでパッケージの裏側観た時点で期待度MAXになりました。
映像的にも素晴らしいのがタイトル通りめまいを起こすシーン。思わず前のめりになるほどすごかった。かなりちゃんとしたアニメーション表現がこの時点で使われてて、しかも効果的で芸術的で驚きました。幾原邦彦っぽい印象を受けた。
んでまあこの物語の核心。
「あなたは私を通して誰を見ているの?」って問題。
あの女の人は自ら罪を犯しているので自業自得といえばそうなのですが、しんどいですよねあれは。自分のことを見て欲しいのに、自分のことを見ているのに見ていない。
ただ見ながらずっと考えていたのは、背後に影を見ない恋愛なんて存在するのってことです。
男性が女性との性行為の中でおっぱいを舐めたり、触って安心するのはその背後に母の存在を見ているからだと思います。安住の地というか、魂のルフランですよね。わたしにかえりなさい。って。
『Steins;Gate』っていうゲームをやったとき、主人公の岡部とヒロインの牧瀬紅莉栖が恋愛をする。紅莉栖は岡部のことが好きになる。
ただ本編とは別のドラマCDを聞くと、過去の紅莉栖の父が登場する。そしてそのしゃべり口調が岡部とそっくりなんですね。かなり意図的に似せている。
本編で紅莉栖の父はかなりあからさまな悪役として描かれています。そして紅莉栖は父親との関係に問題を抱えており、簡単にいえばファザコン的感情を持っている。
おそらくですが岡部と紅莉栖が好きなファンは、紅莉栖の父が岡部に似ている事実をかなり嫌ったのではないでしょうか。なぜなら紅莉栖が岡部を好きな理由にファザコン的感情が大いに含まれているということになるからです。純粋な1対1の恋愛の背後にいやーな影が見えてしまう。
自由恋愛が完全なる1対1の恋愛であってほしいと我々は思う。フィクションの中だけの話ではありません。実際に相手が自分の目を見つめているとき、別の誰かを思い浮かべているなんて耐えられない。SEXをしているとき、別の誰かを思いながら声を出しているなんて、そんな事実あってほしくない。でも人間ってきっとそういうものなんでしょう。悪気はなくともそういうふうになっちゃう部分がある。背後に誰かを見ずにはいられない。見ないということはでかいない。完全なる1対1の恋愛なんてきっと幻想だ。でも幻想だってわかってても完全なる1対1だって、そう思えるときがあるんだよ恋愛って。
だからときには相手を騙さなきゃいけないし、ばれない事が大事。それが優しさ、相手に対する配慮ってことなんでしょう。維持するためにはそれがやっぱり必要なんだよね。
この作品を見てずっとそういうことを考えてた。
『Vertigo』。大傑作です。